<概要>
熊本大学大学院先端科学研究部附属生物環境農学国際研究センターの澤進一郎センター長、Allen Yi-Lun Tsai助教、千葉大学大学院薬学研究院の石川勇人教授、埼玉大学大学院理工学研究科の円谷陽一教授、小竹敬久教授、東京農業大学生命科学部の伊藤晋作准教授、琉球大学農学部の小西照子教授の研究グループは、農作物に被害を与えるサツマイモネコブセンチュウの誘引物質の精製・単離・同定に、世界で初めて成功しました。
線虫は、線形動物門に分類される、その多くが体長1 mmにも満たないような小さな生き物です。その種類は、生命科学研究におけるモデル生物として非常に重要なC.elegans(シー・エレガンス)、アニサキスのような動物に感染する動物感染性線虫、植物に感染する植物感染性線虫など、1億種類以上存在するとも推定されています。中でも大きな問題となっているのが、土壌中に生息し、作物の根などに寄生して農作物を枯らしたり、商品価値を奪ったりしてしまう植物感染性線虫です。その被害額は、世界で年間数十兆円になると試算されています。
昔から、トマトやイネなどの様々な植物の根に線虫が寄生することは経験的に知られていました。これまでに、根そのものだけでなく、ジャガイモ等の根の浸出液にも、その濃度勾配にしたがって線虫が誘引されることが知られていましたが、その実体は明らかになっていませんでした。
今回、本研究グループは、サツマイモネコブセンチュウと亜麻の種子を用いた実験により、亜麻種子にも線虫誘引活性があることを明らかにしました。また、亜麻種子の浸出液を精製し、細胞壁成分である「ラムノガラクツロナン-I (RG-I)」に線虫誘引活性があることを明らかにしました。RG-Iは、様々な糖が様々な形で繋がった複雑な多量体(ポリマー)を形成しており、植物種や植物の組織ごとにその構成糖成分が異なることが知られています。RG-Iをさらに詳しく調べたところ、「ラムノース」と「L型ガラクトース」の2糖が線虫誘引活性に重要であり、この2糖を人工合成した合成糖にも線虫誘引活性があることを確認しました。通常、D型ガラクトースは植物以外の様々な生物にも含まれていますが、L型ガラクトースは植物に特有のものであるため、線虫はL型ガラクトースを認識することで、標的の植物を土の中でも効率的に見つけることができると考えられます。本研究で線虫誘引物質を明らかにしたことにより、植物と線虫の相互作用の研究だけでなく、線虫トラップ剤の開発という農業的な利用にも貢献できることが期待されます。
本研究成果は、令和3年7月2日午後2時(日本時間7月3日午前4時)に科学雑誌「Science Advances」に論文が掲載されました。
<説明>
[背景]
農業被害の原因の一つとして、土壌中に生息する植物感染性線虫による被害が知られています。線虫類は植物の根に寄生し、自身が増殖するためのコブを形成します。コブが多数形成された植物体は、根から十分な水分や無機塩類を吸収することができないため、生育不良や枯死などの農業被害をもたらすことが知られています。線虫類による農業被害は世界的にも大きな問題となっており、その被害額は世界で年間数十兆円とも試算されています。既存の農薬や土壌燻蒸による殺虫方法は、土壌中の線虫を直接殺すため被害の軽減に大きな効果がありますが、強い農薬は土壌中の全ての微生物を殺してしまうため、使用が規制されつつあります。また、使用者の健康被害・環境被害も大きいことに加え、農薬や土壌燻蒸にかかるコストも農業従事者にとっては大きな負担になっています。そのため、新たな線虫駆除の手法の開発が期待されていますが、今のところ効率的な環境保全型の線虫対策は全くありません。
これまで、多くの研究者が植物が放出する線虫誘引物質の同定を試みてきましたが成功していませんでした。根端部から浸出する根の誘引物質を大量に集めることができず、精製にまでいたらなかったのが原因のひとつだと考えられます。また、線虫誘引活性を検出するには大量の線虫が必要で、その培養法がなかったのも、研究が進まなかった原因だと考えられます。
このような状況の中、本研究グループは、線虫被害を軽減する線虫トラップ剤の開発を念頭におき、線虫誘引物質の同定に取り組んできました。本研究グループは、これまでに線虫の大量培養法を開発しており、また、今回、簡単かつ大量に手に入る材料である亜麻種子の線虫誘引活性を発見したことで、世界で初めて線虫誘引活性をもつ化学構造を同定することに成功しました。
[成果]
今回、本研究グループは、サツマイモネコブセンチュウと亜麻種子を用いた実験により、亜麻種子にも線虫誘引活性があることを見いだしました(図1A)。亜麻種子は、簡単かつ大量に手に入る材料であり、誘引物質の精製には最適でした。亜麻種子の浸出液に含まれる細胞壁成分を利用し(図1B、C)、線虫誘引活性を指標に様々な精製段階を経て、線虫誘引物質を単離することに成功しました。
次に、その精製物質を調べたところ、誘引物質は、多糖であることがわかりました。また、その構造は、ラムノースとガラクツロン酸が主鎖であり、側鎖として、L型ガラクトースとフコースが単糖として負荷されているポリマー状のRG-I多糖であることがわかりました(図2)。
また、RG-Iをさらに詳しく調べたところ、ラムノースとL型ガラクトースの2糖が、線虫が認識する最小の構造であることがわかりました。さらに、この2糖を人工合成した合成糖にも線虫誘引活性があることを確認しました。なお、この糖類は、線虫の栄養源になるわけではなく、誘引物質としてのシグナルとして機能していると考えられます。
[今後の応用]
これらの線虫誘引物質を用いて線虫トラップ剤の開発が期待できます。今回発見した線虫誘引物質は、植物に含まれる天然の成分であり、農薬としての登録は必要ありません。また、本研究により開発される線虫トラップ剤は、農業従事者の健康被害や環境被害もないと考えられ、持続可能な環境保全型の農業に貢献できると考えます。本研究は、農業分野に大きなイノベーションをもたらすことが期待されます。
<論文情報>
論文名
“Root-knot nematode chemotaxis is positively regulated by L-galactose sidechains of mucilage carbohydrate rhamnogalacturonan-I”
“ネコブセンチュウは、細胞壁成分のRG-Iの側鎖L型ガラクトースを認識し、植物に誘引される”
論文著者・所属
Allen Yi-Lun Tsai1,2, 岩本祐佳3,円谷陽一4,大田守浩1,小西照子5,伊藤晋作6,小竹敬久4,石川勇人3,7,澤進一郎1,2
1熊本大学大学院自然科学教育部理学専攻生物科学コース
2熊本大学大学院先端科学研究部附属生物環境農学国際研究センター
3熊本大学大学院自然科学教育部理学専攻化学コース
4埼玉大学大学院理工学研究科
5琉球大学農学部
6東京農業大学生命科学部
7千葉大学大学院薬学研究院
雑誌名 Science Advances