シロアリは家屋に被害を与える害虫として知られますが、洗練された階級(カースト)制を特徴とする昆虫で、社会性の進化を研究するための卓越した研究材料です。シロアリはコロニーの中に、形態も役割も異なる個体、すなわち女王と王、兵隊、ワーカーが分業と協働を行い、コロニーの繁栄に寄与しています。このような高度な社会性の進化をもたらした機構を解明することは、現代生物学の重要課題のひとつとされています。
今回、基礎生物学研究所の重信秀治教授、慶應義塾大学の林良信専任講師、富山大学の前川清人准教授、東京大学の三浦徹教授、琉球大学の徳田岳教授、北條優研究員らを中心とする研究グループは、日本に広く分布する「ヤマトシロアリ」のゲノム情報の解読および、カースト別の大規模遺伝子発現解析に成功しました。その結果、シロアリの社会性の進化には遺伝子の重複が重要な役割を果たしていることが明らかになりました。重複した遺伝子はカーストごとに発現パターンが異なる傾向があることがわかりました。そのような重複遺伝子には、化学コミュニケーションや社会的免疫・防御などの社会性に関連する機能を持った遺伝子が多くみられました。遺伝子重複が進化的イノベーションの原動力であることは、進化生物学の専門家の間では広く受けいれられている考え方ですが、本研究は、遺伝子重複と社会性進化の関連をゲノムワイドの情報で証明した点で極めて画期的と言えます。ヤマトシロアリは日本の住宅に最も被害をもたらすシロアリの一種でもあるので、今回得られたゲノム情報は防除のための基盤情報としても非常に有用です。本成果は2022年1月19日に、米国科学アカデミー紀要(PNAS)誌にて発表されました。
【研究の背景】
社会性の進化は生命進化における重要なステップとされ、中でもアリ、ハチ、シロアリなどの昆虫は、「真社会性」(用語解説2)と呼ばれる高度かつ複雑な社会性を進化させ、地球上に繁栄しています。高度な社会性を支える機構や進化過程を解明することは、現代生物学の重要課題のひとつとされており、近年ゲノム科学の進歩に伴い、社会性昆虫の進化をゲノム情報から明らかにしようとする学問分野「ソシオゲノミクス」(用語解説3)が勃興しました。これまでのソシオゲノミクス研究は、アリやハチなどの膜翅目昆虫を中心に進められてきましたが、もう1つの代表的な社会性昆虫であるシロアリのソシオゲノミクス研究は大きく立ち遅れていました。
シロアリは一般には家屋に被害を与える害虫として知られますが、洗練された階級(カースト)制を有する高度な社会構造を示す昆虫で、社会性の進化を研究するための卓越した研究材料です。シロアリは集団(コロニー)の中に形態も役割も異なるカースト個体、すなわち女王と王、兵隊、ワーカーを発達させ分業を行っています。この中で女王と王のみが子供を産む生殖能力を持ち、兵隊は防衛と攻撃に特化し、ワーカーは子供の世話などを行います。このように、繁殖個体と非繁殖個体間の分業と協働を伴う真社会性は、動物が示す最も高度で複雑な社会性と定義づけられています(用語解説2)。シロアリはゴキブリに近縁な不完全変態昆虫で、1億数千万年前にゴキブリの仲間の祖先から進化したと推定されています(図2)。現在、約3,000種のシロアリが主に亜熱帯と熱帯に棲息していると見積もられています。ヤマトシロアリは、本州以南に広く分布する日本の在来種であり、イエシロアリと並ぶ代表的な家屋害虫として知られています(用語解説1)。
今回、研究チームは、社会性の進化の仕組みを理解することを目指して、ヤマトシロアリのゲノム解読と大規模遺伝子発現解析を行いました。
【研究の成果】
研究チームは、初めに次世代DNAシーケンサーを用いて、ヤマトシロアリのゲノム情報を解読しました。得られたゲノムの塩基配列の全長は8.8億塩基対(ヒトゲノムの約3分の1)で、その中に15,591個の遺伝子(ヒトは約2万個)が見つかりました。
次に、生殖虫(女王、王)、兵隊、ワーカーの3種類のカースト別に、網羅的な遺伝子発現解析(RNA-seq解析)を行い、それぞれのカーストに特徴的な遺伝子発現パターンを調べました。これら、ゲノム情報とカースト別遺伝子発現データとを統合して解析した結果、重複した遺伝子群がカースト間で発現が異なる傾向があることがわかりました(図3)。ゲノム上で隣接するよく似た遺伝子が、別のカーストで、例えば一方は女王で他方は兵隊で発現するような例が多数見つかりました(図3)。そのような重複遺伝子の機能は多岐にわたりますが、特に社会性に関連すると考えられる遺伝子が多く含まれていました。例えば、リポカリンは化学的コミュニケーション、セルラーゼは木材消化と社会的相互作用、ゲラニルゲラニルピロリン酸合成酵素は社会的防衛、リゾチームは集団免疫など、いずれもシロアリの高度で複雑な社会性の進化に関与している分子であると推定されました。この中のいくつかの遺伝子については、シロアリのどのカーストのどの部位で遺伝子が発現しているのか詳細に調べました。その結果、これらの遺伝子はカースト特異的な器官に発現していました。
遺伝子重複が進化的イノベーションの原動力であることは、進化生物学の専門家の間では広く受け入れられている考え方です(用語解説4)。社会性進化にも遺伝子重複が重要な役割を果たしている可能性については、ゲノム解読技術がまだ発達していなかった1990年台に、インドの昆虫学者ガダカール博士が先見的な指摘をしましたが、本研究はその仮説をゲノムワイドなデータで証明したということができます。では、遺伝子重複はどのようなステップを経て社会性の進化をもたらすのでしょうか?研究チームは次のように考えています(図4)。
1)遺伝子がゲノム上でタンデムに重複し、遺伝子ファミリーの拡大が起こる。
2)遺伝子ファミリー内で遺伝子発現制御の多様化が生じ、カースト特異的な発現パターンを獲得する。
3)それぞれのカーストで特異的な機能を獲得する。これは一般に重複遺伝子進化で観察される新規機能獲得もしくは機能分化(用語解説4を参照)を通した機構で起こる。
【今後の展望】
本研究によって、ヤマトシロアリでは遺伝子重複が社会性進化の原動力になったことが明らかになりました。この特徴が、他のシロアリや他の社会性昆虫にも当てはまるかどうかはまだ不明です。昆虫の系統では、社会性が何度も独立に進化していることがわかっており、その社会性の様式や複雑度には実に幅広い多様性があります。遺伝子重複が社会性進化を駆動する、すなわちこれが社会性進化の一般原理かどうかを明らかにすることは、進化学やソシオゲノミクス研究分野における今後の重要な研究課題となるでしょう。
また、ヤマトシロアリは重要な家屋害虫でもあるため、ヤマトシロアリのゲノム情報は、防除のための基盤情報としても有用です。本研究で得られたヤマトシロアリのゲノム情報や遺伝子発現情報は、国際的な公的遺伝子データベースDBJに登録済(登録番号:PRJDB2984, PRJDB5589, PRJDB11323)であるだけでなく、基礎生物学研究所が設置したウェブサーバ上でゲノムブラウザ等にアクセスすることが可能です(http://www.termite.nibb.info/retsp/)。
【用語解説】
1)ヤマトシロアリ:本州以南に広く分布し、国内の家屋被害の主な原因となるシロアリ。学名はReticulitermes speratus。本種は、地下性シロアリ(subterranean termite)とも呼ばれ、土中から枯木の中に至るさまざまな場所に営巣する。梅雨の直前に翅をもつ繁殖個体(有翅虫)が巣から飛び立ち、雌雄の有翅虫のペアは新たな営巣場所をみつけ、自ら翅を切り落とし、女王と王となって交尾と産卵を繰り返す。大部分の子虫は翅をもたないワーカーとなり、一部は防衛のための肥大した頭部と大顎をもつ兵隊へと分化する。これら異なるタイプの個体は階級(カースト)とよばれる。各個体がどのカーストに分化するのかは、発生途中に受けるさまざまな環境要因によって決定される。
2)真社会性:動物が示す最も高度かつ複雑な社会性の段階。巣内の血縁個体には、異なる世代が重複し、繁殖個体と非繁殖個体が協力して幼体(子供)の世話をはじめとするさまざまな労働を分業する。代表的な真社会性の動物に、シロアリやアリ・ハチなどが知られるが、他にも、アブラムシやアザミウマ、テッポウエビ、デバネズミなども真社会性を持つことが知られる。
3)ソシオゲノミクス:社会性に関連するさまざまな形質の遺伝的基盤をゲノム解析等のオミクス技術によって解明し、社会性の統合的な理解を目指す研究分野。ミツバチやアリなどの社会性ハチ目昆虫においてはすでにソシオゲノミクス研究が活発に行われており、ゲノムも多数解読されている。一方、シロアリのソシオゲノミクス研究は、ゲノムサイズが大きいことなどの理由で立ち遅れていた。本研究以前は、ヤマトシロアリと系統的に離れた3種のシロアリ、ネバダオオシロアリZootermopsis nevadensis、ナタールオオキノコシロアリMacrotermes natalensis、ダイコクシロアリの近縁種 Cryptotermes secundusの3種(図2参照)でゲノム情報が報告されているに過ぎなかった。
4)遺伝子重複と生物進化:生物進化において遺伝子の重複が重要な役割を果たしていると考えられている。大野乾博士の著書「Evolution by gene duplication」は特に有名。重複した遺伝子の一方は機能的制約から解放され、突然変異が蓄積する。多くの場合、突然変異が蓄積した遺伝子は、機能が失われ偽遺伝子化し消失するが、新たな機能を獲得したり(neofunctionalization)、機能が特化したり(subfunctionalization)することがある。他の昆虫で遺伝子重複が生物進化に大きな役割を果たした例としては、ホタルの発光をつかさどる遺伝子ホタルルシフェラーゼが脂肪酸代謝酵素遺伝子の重複の結果であることを、本研究の筆頭著者でもある重信教授らが2018年に報告している(Fallon et al., 2018, eLife)。
【発表雑誌】
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (米国科学アカデミー紀要)2022年1月18日号
掲載日:日本時間2022年1月19日
論文タイトル:Genomic and transcriptomic analyses of the subterranean termite Reticulitermes speratus: gene duplication facilitates social evolution
著者:Shuji Shigenobu*+, Yoshinobu Hayashi*, Dai Watanabe, Gaku Tokuda, Masaru Y. Hojo, Kouhei Toga, Ryota Saiki, Hajime Yaguchi, Yudai Masuoka, Ryutaro Suzuki, Shogo Suzuki, Moe Kimura, Masatoshi Matsunami, Yasuhiro Sugime, Kohei Oguchi, Teruyuki Niimi, Hiroki Gotoh, Masaru K. Hojo, Satoshi Miyazaki, Atsushi Toyoda, Toru Miura+, and Kiyoto Maekawa+ (*筆頭著者、+責任著者)
【研究グループ】
本研究は、基礎生物学研究所の重信秀治教授、新美輝幸教授、慶應義塾大学の林良信専任講師、富山大学の前川清人准教授、元博士課程学生(渡邊大、栂浩平、斎木亮太、矢口甫、増岡裕大、鈴木隆太郎)、東京大学大学院理学系研究科の三浦徹教授、琉球大学の徳田岳教授、北條優研究員、松波雅俊助教、関西学院大学の北條賢准教授、玉川大学の宮崎智史准教授他、を中心とする研究グループによって実施されました。
【研究サポート】
本研究は、基礎生物学研究所の共同利用研究「モデル生物・技術開発共同利用研究」および「統合ゲノミクス共同利用研究」の課題として実施されました。ゲノムや発現遺伝子のシーケンスは、重信教授が統括する基礎生物学研究所生物機能情報分析室の次世代シーケンサーを用いて解析されました。データ解析の一部は、同研究所情報管理解析室のスーパーコンピューター生物情報解析システムで計算されました。
また、本研究は、以下の研究費の支援を受けて行われました。
文部科学省科学研究費補助事業(科研費)
- 新学術領域研究「複合適応形質進化の遺伝子基盤解明」
- 新学術領域研究「ゲノム科学の総合的推進に向けた大規模ゲノム情報生産・高度情報解析支援」
- 新学術領域研究(複合適応形質進化)公募研究「ソシオゲノムの進化:カースト分化を規定する遺伝子群の解明」
- 新学術領域研究(複合適応形質進化)計画研究「非モデル生物におけるゲノム解析法の確立」
- 基盤研究C「シロアリの初期巣における兵隊の分化機構」
- 基盤研究C「シロアリにおける性特異的な兵隊分化の至近機構の解明」
- 基盤研究B「兵隊保有型の真社会性グループにおける不妊カースト分化機構の解明」
挑戦的研究(萌芽)「共生ゲノミクスによる新規抗菌ペプチドの革新的探索法の開発」