プレスリリースのポイント
○ 国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟搭載の静電浮遊炉と大型放射光施設SPring-8の高エネルギーX線を利用して、超高融点(2413℃)の酸化エルビウム(Er2O3)液体の原子配列と電子状態を測定することに世界で初めて成功しました。
○ スーパーコンピュータを用いた大規模理論計算と先端数学から、ガラスにならないことが知られているEr2O3液体には、結晶に似た(高い周期性を持つ)構造が存在することが明らかになりました。これは、液体は長距離まで続く周期性を持たないという従来の定説を覆す発見です。
○ 本研究で利用された手法や知見は、新たな材料開発や高温液体から生成される物質の成り立ちへの理解につながることが期待されます。
研究概要
宇宙航空研究開発機構、琉球大学、物質・材料研究機構、京都大学、ノルウェー科学技術大学、弘前大学、函館工業高等専門学校、東北大学金属材料研究所、エイ・イー・エス、高輝度光科学研究センター、理化学研究所からなる国際共同研究チームは、「きぼう」の静電浮遊炉「ELF」*1(図1)における液体の微小重力下無容器密度計測、大型放射光施設SPring-8*2 の高エネルギーX線を用いた浮遊法による無容器構造計測、ノルウェーグループのスーパーコンピュータを用いた大規模理論計算を併用し、さらに先端数学(パーシステントホモロジー)*3を利用しながら、ガラスにならない液体として知られている酸化エルビウム(Er2O3)液体(融点:2413℃)の原子配列と電子状態を世界で初めて解明しました。
Er2O3液体は、歪んだOEr4クラスターをはじめとする多様な多面体から構成され、極めて原子の充填率が高く、液体であるにもかかわらず高い周期性を持っていることが明らかになりました。これは、液体には、構造周期性がなくランダムであるという従来の定説を大きく覆す発見です。さらに驚くべきことに、得られた構造モデルに先端数学を適用したところ、Er2O3液体はEr2O3結晶と位相幾何学的に相似の構造が存在することが明らかになりました。
本研究で得られた高温液体構造に関する原子・電子レベルでの理解は、高温液体から生成されるガラスやセラミックス材料の開発や、高温液体であるマグマから鉱物が形成される過程、つまり地球の成り立ちの理解への道筋を示す重要な知見となり得ます。なお本成果は、2020年6月2日(日本時間)に英国科学雑誌「NPG Asia Materials」にオンライン掲載されました。
論文情報
論文題目: Very sharp diffraction peak in non-glass forming liquid with the formation of distorted tetraclusters
著者:小山千尋、田原周太、小原真司、小野寺陽平、Didrik R. Småbråten、Sverre M. Selbach、 Jaakko Akola、石川毅彦、増野敦信、水野章敏、岡田純平、渡邊勇基、仲田結衣、尾原幸治、田丸晴香、織田裕久、大林一平、平岡裕章、坂田修身
雑誌名: NPG Asia Materials
発行日: 2020年6月2日
doi: 10.1038/s41427-020-0220-0
1. 研究背景
ガラスは古くから人類により作られ続けている機能材料の一つであり、科学技術の進歩とともに、その性能は大きく向上し、容器や建材といった身の回りのものから、光学レンズ、光ファイバー、レーザーといった情報通信に必要不可欠な材料まで、様々な用途に利用されています。これらのガラスは、通常、原料を加熱し液体にした後、急冷して作製しますが、どのような物質でもガラスになるわけではありません。ガラスになる液体とガラスにならない液体では原子配列に違いがあることが以前から指摘され、その違いを原子・電子レベルで明らかにできれば、ガラス化の条件が明確になり、新しいガラス材料の開発や生成方法の発見につながります。しかしながら、原子・電子レベルでの解明は難しく、21世紀に入った現在でも、ガラス科学における大きな謎でした。
2. 研究内容及び成果
これまでの研究の多くは、ガラスになる液体の構造に焦点が当てられてきましたが、国際共同研究チームは、あえてガラスにならない液体の構造を明らかにすることで、これまでにない構造の知見が得られ、ガラス化の本質に迫ることができると考えました。そこで、ガラスにならない物質のひとつである酸化エルビウム(Er2O3)を選択し、その液体の原子配列・電子状態の解析を試みました。
構造解析には、マクロな情報である密度とミクロの情報であるX線回折データを実験で取得する必要があります。ところがEr2O3の融点は2413℃と酸化物の中でも特に高いため、従来の容器を用いた手法では、容器との反応や凝固が生じ、液体状態を維持することが困難でした。そこで、国際共同研究チームは、「きぼう」に搭載されたJAXAが開発し運用するELFと、SPring-8のBL04B2における高エネルギーX線回折ビームラインで、我々が独自に開発した無容器ガス浮遊炉*4を組み込んだ実験装置を利用して、2650℃という超高温での密度(図2)および構造計測に成功しました。
この無容器ガス浮遊炉による放射光実験から得られたEr2O3液体(2650℃)の回折データを図3に示します。Er2O3液体の回折パターンにはガラスになる液体に共通する特徴的なピークが現れず、その回折ピーク*5は液体としては異常に鋭い、すなわち液体としては極めて高い周期性があることを世界に先駆けて発見しました。
また、ELFを用いた宇宙実験で得られた高精度密度データ(図2)とコンピュータシミュレーションにより、この実験データを忠実に再現する3次元構造モデルの構築に成功しました。このモデルを用いて原子配列を調べたところ、図4に示したとおり、これまで我々が研究してきたガラスにならない高温液体であるAl2O3(2127℃)やZrO2(2800℃)には存在しない、歪んだOEr4クラスターが形成されていることが明らかになりました。そして、コンピュータシミュレーションから電子状態を計算すると、この歪んだ構造を反映したバンドギャップ*6が非常に狭い電子状態であることが明らかになりました。さらに、先端数学に基づいた解析により、Er2O3液体は位相幾何学的に結晶に近いことを突き止めました。
以上のような超高温の液体の研究には、基礎となる精密な構造解析データと精密な密度が必要不可欠です。しかしながら、これまで2000℃を超えるような高温領域における酸化物液体の密度を正確に計測する手段はなく、超高温液体研究におけるボトルネックとなっていました。この問題に対して、本研究ではELFが密度計測の成功に大きな役割を果たし、さらに地上の放射光施設で測定した構造データがEr2O3液体の高い周期性の発見に大きく貢献しました。また、液体の構造的な特徴を浮き彫りにすることに、先端数学が大事な役割を担いました。このように、国際共同研究チームによる宇宙・地上での実験と大規模理論計算・先端数学の連携が、ガラスにならない超高温酸化物液体が持つ特異構造の発見につながりました。
3. 今後の展開
今回、「きぼう」に設置されたELFを用いた微小重力下での実験、地上の大型放射光施設SPring-8での実験、コンピュータシミュレーション、先端数学の連携をとることにより、ガラスにならない超高温の液体の構造的な特徴の抽出に成功しました。本研究成果は、液体を急冷してガラスになる物質とならない物質の違いを考える上で、ひいては「ガラスはなぜできるか?」という根本的な質問に対する答えを出すための重要な情報になります。今後、さらにこういった実験を続けることで、理論に基づいたガラスの作製が可能になれば、スマートフォン等の小型情報通信端末での利用が望まれている超高屈折率ガラスや超高温耐熱セラミックスのような革新的材料の開発が加速することが期待されます。また、高温かつ高圧下の液体であるマグマから鉱物が形成される過程、すなわち地球の成り立ちの理解への道筋を示す重要な知見となり得ると考えています。
*1 静電浮遊炉ELF (Electrostatic Levitation Furnace)(図1)
静電浮遊炉は、電極間で発生する静電気の力を利用して容器を用いずに試料を浮遊させ、自在に移動、静止させることができる装置。JAXAのグループによってISS「きぼう」日本実験棟に搭載されました。加熱レーザーと組み合わせることで、高純度を保ちながら、溶融したサファイアや半導体酸化物をはじめとする超高温液体を生成することができます。また試料全体を観察できるため、密度をはじめとするマクロな(熱)物性を高精度で調べることができます。(参照https://iss.jaxa.jp/kiboexp/equipment/pm/elf/)
*2 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある、世界最高性能の放射光を生み出す、理化学研究所が所有する放射光施設で、その利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究を行っています。
*3 先端数学
パーシステントホモロジーと呼ばれる、データの幾何的情報を定量的に特徴付けることのできる手法。トポロジーという数学分野の理論を応用した手法です。
*4 ガス浮遊炉
ノズルから試料に対して下から鉛直方向にガスを吹き付け、容器を用いずに試料を浮遊させる装置。ノズルから試料の一部が浮きあがるため、放射光を利用することでミクロの情報(回折データ)を取得することができます。
*5 回折ピーク
規則正しく原子が並んだ(長距離秩序を持った)物質に、電磁波であるX線を入射すると、それぞれの原子からの散乱波が互いに干渉しあい、特定の方向にだけ強い回折波(鋭い回折ピーク)が発生します。しかしながら、液体のような長距離秩序で原子が並んでいない物質にX線を入射した場合、通常、半値幅の広い(ブロードな)回折ピークが発生し、鋭い回折ピークは発生しません。
*6 バンドギャップ
原子が多数集まった物質における禁制帯のエネルギー幅。すなわち価電子帯の上部から伝導帯の下部までのエネルギーの差を指します。一般的にこの差が大きいと絶縁体、小さいと半導体となります。